INDEX


 


 上山市は村山盆地の南端に位置し東には蔵王山系と、氷河期の名残を示す岩海を有する三吉山があり、南から西にかけては番城山、烏帽子山、白鷹山がありそれらの山々に囲まれた穏やかな旧城下町である。

大森治豊の像
 幕末の頃、上山藩に大森快春という藩医がおった。嘉永五年十一月十日、その長子として大森治豊が生まれ、長じて藩校「明新館」(現在の上山明新館高校にその名をとどめている)に学び、後日東京帝国大学医学部を卒業、外科医学の泰斗として当時の日本の医学会におおきく貢献した。九州大学の基を築きまた日本ではじめて帝王切開手術を行うなど多いに活躍した大先輩である。また勝沼精造は上山藩の儒者で明新館の教師でもあった五十嵐干拙の長女ますに育てられ、東京帝国大学医学部を卒業後、大いに活躍、後日名古屋大学学長となりまた文化勲章を受章している。さらには文化勲章受章者薬学博士朝比奈康彦など私どもの誇るべき大先輩が多い。茂吉は別格としてこのあたりが上山市医師会の源流でなかろうかと考えている。
大正年間の上山市の医師はまだ数も少なく南村山郡に所属しており、郡制廃止後もしばらくはそのままの
組織で運営されていた。因に南村山郡が発展的解消をし上山市が誕生したのは昭和29年10月のことである。なを当時の教育委員に木村博医師(44)が選ばれているがこのあたりまでが上山市医師会の黎明期といえよう。
上山市医師会誕生:昭和32年4月1日。市医師会結成の機運がたかまりその実現を見るにいたる。初代会長宇留野勝弥、副会長渋谷善秀、会員28名をもって始動した。事務所は定款第1条「本会は上山市医師会と称し、事務所を会長宅に置く」にもとずき会長宅に置かれた。3代目の会長長岡武雄先生宅に昭和45年〜昭和50年までこのシステムで事務所を転々としながら維持されていたがやがて時代の流れとともに対応に不便をきたすようになり現在の形に改められることになった。


昭和32年4月1日 上山市医師会結成(上記)
昭和40年11月 宇留野勝弥先生日本医師会最高優功賞受賞
昭和45年10月 在宅休日救急当番医制開始
昭和50年 医師会事務所が下十日町に移転
平成2年9月 救急医療の貢献で県より表彰
平成3年 医師会事務所十日町(旧原田博宅を借用)に移転
現在にいたる
 

 平成14年4月現在会員数44名、発足当時からみれば大巾に伸びてはいるがまだささやかな会である。それだけにまとまりがよく隔月に行われる学術講演会や会合は温泉地ならではのホテル、旅館をおおいに活用し和気藹々のうちにその実をあげている。家族旅行も50回継続し現在は家族クリスマス会として存続、医師会会員の奥様会などきめ細かく意思疎通をはかっている。これら連携プレーのよさをばねに会員一同市民の疾病予防、治療に日夜奮闘している。
文責・高野良介